ジナコ=カリギリとしののろい

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ひまな暇な時間でCCCを再プレイしている。

ようやく4章まで来て、あとはカルナを倒すだけだ。

ジナコに近い年齢で改めてプレイして、思うところがあったので書き記す。

 

ジナコ=カリギリ。

最近FGOでも活躍の場があったので、知る人も増えたと思う。

ここでは、CCCにおける彼女の出自を見直す。

ネタバレが嫌いな方はブラウザバック。

 

ドイツ人の父と、日本人の母を持つハーフである。

15歳のとき、事故でこの両親を亡くしている。

アイスバーンでダンプに突っ込まれたらしい。

幸いにしてか、不幸にしてか、両親の遺産は少女が生きていく上で、一生困らないほどあった。

それから彼女は引きこもった。

1年、3年、5年、10年。

気づけば引きこもりも15年。

孤独だった。ネットの友だちしかいなかった。

浅いところで傷を舐め合う程度の友だちしか。

 

そんな人生を変えたいと思った。

やり直したい、と思った。

だから、電子の聖杯戦争に参加した。

でも、引きこもりに命のやりとりは無理だった。

だからここでも引きこもる。

不戦敗をして、用務員室にこもって、聖杯戦争が終われば死ぬ。

そんな、儚い命。

 

だが、そんなジナコの人生を笑い飛ばす男がいた。

臥藤門司。自称ウルトラ求道僧。

「間が悪かった」のだ、と彼は言う。

神はいる。しかし、それは堕落する人を罰する機構なのだ。

神にすがるジナコに、神は誰も見ていない、たまたまそんな人生になったのは誰のせいでもない、と言うのだった。

 

ここで、私の話をさせてほしい。

現在ニート。もう少ししないと求職もできない身の上だ。

父が倒れた、祖父が要介護。母は、ふたりの世話で手一杯だ。

死を考えるようになった。たまたま父は死ななかった。が、もう少し病状の発見が遅れていれば死んでいた。

金はない。ニートをしている場合ではないのだ、本当は。

 

こんな私にも、ガトーは「間が悪かったのだ」と言うだろうか?

 

ジナコは、ゲームが終われば間違いなく死んでしまう。

私は、残念ながらまだ生きていく。

神は信じていない。だが、「間が良い」瞬間が、いつか訪れるだろうか。

たとえば、ガネーシャ神として第二の生を与えられたジナコのように。

狂ってもなお信じられる光を手に入れた、彼女のように。

そうであると、信じたい。